徳一が歩く   高蔵寺(32)                                    (財)茨城県郷土文化振興財団




元々仮堂のあった場所に三重塔が建つ

       海雲山の南麓に仮堂を建て聖地とす

 いわき市を歩いています。私は空海と最澄に隠れ、秀才で互角なのに、最澄様と論争し、空海様からは大兄と尊称されたと、高蔵寺の縁起にあります。私は一介の僧侶で、大同2年(807)に常陸から船で来て、小名浜に上陸、各地に寺を創建したそうです。
 この年は自然災害が相次ぎ、大変な年でした。会津磐梯山、吾妻富士が噴火を繰り返し、磐城地区も火山灰が降り、農作物も育ちませんでした。それに疫病も発生しました。
 私は覚えてないのですが、海雲山の南麓に仮堂を建てここを聖地にし、7体の観音像を刻み、高倉、法田、仏具、富沢、出蔵、関田、鮫川に安置したそうです。
 旧仮堂のあった所には千手観音堂、三重塔があります。三重塔は15・76㍍の高さがあり、屋根は銅板葺ですが、余り見られない簡素な貴重な建造物です。ここはかなり高い所なので、寺博士は登るのが大変でした。周囲の杉の並木は見事でした。この県指定文化財の三重塔に私の像があり対面しました。
 応永年間(1394~1427)には石川城主、植田城主の協力で堂塔を建立し、既存の堂宇の修理をし、永正15年(1518)に宗永法師が磐城三十三観音霊場を選定した際、第6番になりました。「松杉の木の間のふもとに海見えて誓いと共に高蔵の寺」が御詠歌です。慶安2年(1649)には、徳川3代将軍家光から30石の朱印地を拝領しています。
 寺と火災はつきもので、高蔵寺も明治25年(1892)1月25日に本堂が焼け、ずっと仮本堂でしたが、焼失して100年の平成2年に発願、平成7年に再建されました。
 「しょういんの音にまじりて今もなお大師の御声聞くは嬉しき」は福島八十八か所霊場10番の御詠歌です。弘法さんに因んだ札所は盛んですが、私の建てた寺が多いわりには徳一札所はなく、残念ですは博士の感想です。




徳一坐像







本堂と六地蔵



周囲の杉の並木は見事
 
【メモ】
海雲山時限院高蔵寺
〒974-8204
福島県いわき市高倉町鶴巻50
電話 0246-63-3030
【宗派】真言宗智山派
【本尊】阿弥陀如来像
【年中行事】毎月17日観音縁日
 1月17日観音大祭
 

  
 
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