海雲山の南麓に仮堂を建て聖地とす
いわき市を歩いています。私は空海と最澄に隠れ、秀才で互角なのに、最澄様と論争し、空海様からは大兄と尊称されたと、高蔵寺の縁起にあります。私は一介の僧侶で、大同2年(807)に常陸から船で来て、小名浜に上陸、各地に寺を創建したそうです。
この年は自然災害が相次ぎ、大変な年でした。会津磐梯山、吾妻富士が噴火を繰り返し、磐城地区も火山灰が降り、農作物も育ちませんでした。それに疫病も発生しました。
私は覚えてないのですが、海雲山の南麓に仮堂を建てここを聖地にし、7体の観音像を刻み、高倉、法田、仏具、富沢、出蔵、関田、鮫川に安置したそうです。
旧仮堂のあった所には千手観音堂、三重塔があります。三重塔は15・76㍍の高さがあり、屋根は銅板葺ですが、余り見られない簡素な貴重な建造物です。ここはかなり高い所なので、寺博士は登るのが大変でした。周囲の杉の並木は見事でした。この県指定文化財の三重塔に私の像があり対面しました。
応永年間(1394~1427)には石川城主、植田城主の協力で堂塔を建立し、既存の堂宇の修理をし、永正15年(1518)に宗永法師が磐城三十三観音霊場を選定した際、第6番になりました。「松杉の木の間のふもとに海見えて誓いと共に高蔵の寺」が御詠歌です。慶安2年(1649)には、徳川3代将軍家光から30石の朱印地を拝領しています。
寺と火災はつきもので、高蔵寺も明治25年(1892)1月25日に本堂が焼け、ずっと仮本堂でしたが、焼失して100年の平成2年に発願、平成7年に再建されました。
「しょういんの音にまじりて今もなお大師の御声聞くは嬉しき」は福島八十八か所霊場10番の御詠歌です。弘法さんに因んだ札所は盛んですが、私の建てた寺が多いわりには徳一札所はなく、残念ですは博士の感想です。
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