東耀寺
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(財)茨城県郷土文化振興財団
石岡旧市街にある東耀寺の本堂
天元3年の頃 法相宗で広大寺という
「徳一さん、とにかく1200年前のことですから、寺の創建については、伝説的なものが多いのです」と寺博士は言います。
今回の東耀寺は『天台宗茨城教区寺史』と寺博士の『茨城の寺』を参考にしたところ、私が開基したようです。
養老5年(721)に創建されたと明治31年の『寺院明細帳』にはあります。それによると、天元3年(980)の頃は法相宗で広大寺といい、私が開いたということです。常陸総社の臨時祭を行ったとあります。
その後、真言宗の時代があったようで、天台宗になったのは、寛永17年(1640)の玄海の代と言われています。
石岡は常陸国の国府で、国分寺、国分尼寺もあり、都から高橋虫麻呂などが赴任して来ましたが、私は100年ぐらい後ですので、時代は異なります。
寛文3年(1663)、火災で古文書類はすべて焼失しました。
本尊は阿弥陀如来坐像で、境内は2310平方㍍、16・5平方㍍の閻魔堂もあります。閻魔大王を本尊とする御堂で、1月16日、7月16日の縁日には護摩が焚かれます。戦前は参詣者が多く、子供相撲が行われ、露天商も出店しました。
閻魔は最初、天上に死者の楽園を築いて君臨しましたが、中国では民間信仰で地獄の審判官として恐れられた十王の一つになり、地獄の総帥です。
年中行事としては十夜があります。戦前は旧の10月5日から14日までの10日間、念仏衆が集まり御詠歌を唱えました。現在は10月10日、1日だけになりました。
「私を徳一菩薩と呼ぶ人がいます。仏と人の中間に位置し、人々の雑多な願いに対応して幅広く人々の救済にかわる者です」。
寺博士は「徳一さんは、それだけ、多くの人を救済していますよ」と言ってくれました。
舎人親王(天武天皇の第3皇子)の創建とも伝えられる
閻魔大王がおわす閻魔
【メモ】高照山養願院 東耀寺
〒315-0017 茨城県石岡市若宮1の1の13 電話 0299-22-3477
【宗派】天台宗山門派
【本尊】阿弥陀如来坐像
【行事】閻魔王縁日 1月16日・7月16日 十夜法要 10月10日