徳一が歩く   清瀧寺(25)                                    (財)茨城県郷土文化振興財団






ただ1棟、火災から免れた仁王門

        石段60段を上り山門をくぐる

 「清瀧寺は、徳一さんが来た時、すでに寺があったそうです」と寺博士が話すので、「私とどんな関係がありますか」と尋ねました。推古天皇15年(606)、勅願によって、竜ケ森に創建したといいます。大同元年(806)になって、現在の場所に私が移し、整備したそうです。
 「私は民衆から慕われていたのでしょうか」しかし記録がないとか残念です。天正元年(1573)をはじめ、度々の火災で焼失、再建と火災が繰り返されました。その中で天保15年(1844)5月10日に再建された本堂が信仰の中心でしたが、昭和44年(1969)に焼失しました。聖観音も焼失したとか、何なのでしょうね。
 本堂に行くには石段60段を登り、火災から免れた仁王門をくぐります。この建物が残り本当によかったと涙が出ました。昭和52年(1977)に鉄筋コンクリートの本堂が再建されたのを見て一安心しました。
 清瀧寺は坂東三十三札所の26番です。鎌倉市の杉本寺を1番として、神奈川、埼玉、東京、群馬、栃木、茨城と回り、千葉県館山市の那古寺で結願です。全行程1300㌔、私の時代にあれば、私も歩いたことでしょう。もちろん、寺博士をつれてです。
 「わが心より後はにごらじな 清滝寺へまいる身なれば」
 これが御詠歌で、真言は「おんあろりきゃ そわか」を唱えます。清瀧寺は安産・子育てはもちろん、三十三札所巡りとして広く幸福を願って巡礼する人たちが訪れてきます。
 私はとにかく、此の地を仏縁の地として、法相宗の教えを村人に語りました。寺博士が前に訪ねた時は、無住で、小野地区55軒の中から選ばれた4人が納経を受けていたそうです。私が歩く寺は火災にあったところが多く、徳一の名は残っておらず、伝説の僧になっていますが、浪漫があって楽しいものです。



よだれ掛けを着けているのは犬ではなく獅子


仁王門「南明山」の扁額





 
【メモ
南明山 清瀧寺
〒300-4108
茨城県土浦市小野1151
電話0298-62-4576

【宗派】真言宗豊山派
【本尊】聖観音菩薩像
   坂東三十三札所第26番

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