眼病を患った小町、薬師様に百か日の祈願
相変わらず寺博士と歩いています。霞ヶ浦を見て、昔、どうだったか思い出せずにおります。とにかく、1200年も昔です。
「今日は小野小町に会わせてあげます」というので、楽しみに歩いてきました。現在潮来市の上戸にあって瑠璃光山観音寺といっています。私が創建したのは大同2年(807)で尾の詰の台地にあったといいます。
「この尾の詰のオノが小町さんです。小町さんも健脚で、全国各地を歩きました」
ここで小町は眼病を患って、薬師様に参籠、百か日の祈願をして全快し、そのお礼としてシダレザクラを奉納したそうです。
とにかく、火災が多く、いつの時代か現在の上戸に移りました。私の去った後、康永2年(1343)には真言宗になっています。観応2年(1351)には、領主の内藤頭藤原国安が除地5石を寄進し、保護しました。
薬師堂は県指定文化財で、平成10年(1998)解体修理が行われ、その時、化粧垂木に弘仁2年(1556)の墨書が見つかり、建立年が判明しました。それに、元禄、寛保年間に大改築のあったことも分かりました。
薬師堂は方3間寄棟造りの茅葺です。四周に縁を廻し正面に蔀戸を吊り、柱は円柱で内部に柱はありません。天井は格天井で中央は鏡天井、龍の絵が描かれています。
私が建立した寺が、今も隆盛なのは嬉しいことです。山門は六脚の破風造り、屋根は左右に流れているのが特徴で、江戸時代中期の建立です。鰐口は「上福寺願主内蔵国安観応三年五月十八日」(観応三年は1352年)の銘があります。「昔は薬師堂の軒下に吊るされていました」と寺博士は話しました。
本尊は聖観音菩薩像で、ほかに、大日如来、弘法大師、興教大師、薬師の脇侍の日光・月光菩薩、十二神将、不動明王、蚕霊尊が安置されています。
薬師の縁日は毎月11日で、特に1月、3月には護摩を焚きます。
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