法相宗学を教えるのに主力
今日もいわき市を歩いています。平成の世の中のことを理解し、少しずつ分かってきました。寺も私が歩いた時は、本当に小さいお堂でしたが、1200年経つと、思いもよらない大寺院になっています。
龍光寺も私が大同元年(806)に小久村堂ケ崎に開いた寺と言われていますが、寺でも記録がないのでということでした。
建長7年(1255)になって、執権北条時頼が堂ケ崎から現在地に遷し、中興開基と言われています。その間450年はどうだったのしょう。この時、臨済宗建長寺派に塔頭3庵があり、隆盛だったといいます。
慶安2年(1649)には、妙心寺派にかえています。とにかく、このいわき市は妙心寺派の布教が強かったのかも知れません。私の法相宗は学問を教えるのに主力を尽くしました。その教えが今でも慕われ、徳一の名が残っているので、嬉しくて寺博士と握手をしました。
現在の本堂は、老朽化により安永2年(1773)に再建したものだそうです。旧本尊は観音像でしたが、宗派が変わった時、釈迦三尊になっています。本尊の釈迦牟尼仏は坐像で脇侍は立像です。什物としては十王図と上洛に使用した駕籠2基があります。
楼門を入って左脇に享保15年(1737)6月建立の先祖供養の銅造地蔵立像があります。昔、大久城の四代目城主大須賀家が、関ヶ原の戦いで没落、嫡子が久之浜に移りました。その子が初代次郎左衛門五郎丸で名主になりました。この五郎丸が鎖国中なのに海外通商をし、船門創業の父と讃えられました。2代目の次郎左衛門が、地蔵尊を建立、今は地域でも皆が信仰しています
現在の本堂は昭和11年(1936)に改修されました。本堂のほかに庫裡、楼門、観音堂、弁天堂があり、境外には不動堂があります。私の事は夢の世界の存在のようです。
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