再三の火災ですべてが失われる
私が去った後に常陸国へは、主に天台宗が入り寺の維持に努めましたが、磐梯や岩城では真言宗が多かったようです。今回訪れた波立寺、龍光寺、宝林寺は、臨済宗です。私が死去してからのことなので、次のことは、寺博士の話です。
栄西(1141~1215)は比叡山で密教を学び、2回宋へ渡り、天台山の虚庵懐厰から臨済宗を学んで帰国し、旧仏教に属しながら新しい仏教をとりいれたといいます。栄西の帰国は建久2年(1191)で臨済宗の創建年です。
私がこの寺を創建したのは、大同元年(806)と言われています。宝林寺は、康永~貞和年間(1342~49)に臨済宗に改宗されたようです。その間の540年はどうだったのしょう。興味がありますが、再三の火災ですべてが失われています。
とくに、昭和38年(1963)の火災は本堂、観音堂、鐘楼、什宝のすべてを焼失したそうです。
私が寺を創建した時に聖観音像を刻み、小堂に安置したそうです。これを基に永正15年(1518)磐城三十三観音霊場が生まれ、30番札所になり、小久観音と言われています。この観音像も焼失しました。
熊野山が山号ですが、この堂宇には阿弥陀如来、薬師如来、観音菩薩の3体が熊野権現の本尊として安置されていました。明治初年の神仏分離でこの堂宇は解体され、仏像は本堂に移され、安泰だったといいます。
私はあまりよく分かりませんが、昭和50年(1975)に本堂、庫裡、観音堂が再建されています。とにかく、大変な災難でした。
本尊は新しい釈迦牟尼仏坐像、小久観音堂には聖観音立像が安置されています。
「みくまのや 滝のひびきに 夢さめて いまだそそがん 久方の代々」が三十番札所の御詠歌で、私と寺博士で唱和しました。
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