「 その基礎は徳一さんです」
いわき市には私が開基した寺がたくさんあって驚いています。寺博士が現代になじむようにと、四倉港の「道の駅」で昼飯を食べました。カメラさんと寺博士は海鮮丼を食べました。魚がたくさんのっていて、私もと思いましたが、粥か干飯しか食べません。
昼食後、コーヒーと言われましたが断りました。お寺を探すのに、今日は苦労し、薬王寺を見つけました。直接、関係のある寺でないと思っていましたが、八茎薬師の別当寺であったことが分かりました。ここに登るのも寺博士はきつかったようです。
寺の創建は大同年間(806~9)ですが、ここも真言宗になり現在は智山派です。しかし、「その基礎は徳一さんです」と話していただきました。鎌倉時代の永仁3年(1295)真言宗の禅弁が住職になりました。その後、縁起にはいろいろ書かれています。
当寺の最盛期には162の末寺、御朱印50石、堂宇48をもつ大壇林だったと、延享4年(1747)の資料にあるそうです。
戦いが何度も繰り返され、堂宇が焼け、明治30年(1897)に元禄年間(1688~1703)の古寺を買い、仮本堂とし、本尊の文殊菩薩騎獅像(国指定)を安置しました。この像は伝運慶作で、元禄16年(1703)に平藩主の奉納といいます。
再三の火災の中で、薬師如来坐像(旧本尊)地蔵菩薩立像、賓頭廬尊者、不動明王像は焼け残り、並んで安置してあります。おそらく私が薬師如来を本尊としたのでしょう。本堂の欄間には竜、唐獅子、牡丹、天女の彫刻が眼をひきました。
私の時代から1200年、歴史は大きく動きました。国指定の絹本著色弥勒菩薩像、厨子入金銅宝篋印舎利塔、県指定文化財の刺繍阿弥陀三尊種子懸幅、市指定文化財は、絹本著色涅槃図など6点を所蔵しています。とにかく、すばらしいことです。
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