鐘を撞き煩悩を祓い、町の人に御苦労様と伝える
勿来の関を越えて、関田という所に来ました。私が大同2年(807)に創建したようです。そして、後に真言宗に改宗されました。それでも私の名は忘れられないようです。
私も寺博士も歩くのが楽しみになって来ました。「磐城三十三観音札所があるので行きましょう」と寺博士に誘われました。このうち管理している10か寺は私の創建と言われています。
今日は松山寺を訪問しました。住職さんから寺博士に「鐘を撞き煩悩を祓い、町の人に御苦労様と伝えて下さい」と注文があり、こんな機会はないので、嬉しそうに撞きましたが、かなり力が入ってしまい、音色は不満でした。
これは煩悩のせいでしょう。寺博士はまだまだ私とは背比べできません。
「寺博士さん少し説教しますよ。貪(欲望・執着)、瞋(怒り・憎悪・怨恨)、痴(無知・愚かさ)を三毒といい、心の迷いです。自分に執着することを止めるべきです」
私はついきついことをいいましたが。生きていく上でたいせつなことです。寺博士は、私の言葉に耳を傾けてくれました。
松山寺は1200年前に私が創建したと言われ、この地域を毎日布教に歩いたようです。しかし、私のことについては不明です。
時代が下がって、弘法さんの布教によって真言宗になったようです。この松山寺が納めているのが関田観音堂で、十一面観音像が安置されています。「みちのくのなこそ関田の 現清寺 岸うつ波は 松風の音」が御詠歌です。
小さな観音様がたくさん奉納されているのを見て、その信仰の深さに感動しました。また地蔵和讃も盛んなようです。寺博士の撞いた鐘の音が思うようでなかったのか、元気なくさそうに見えました。
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