奥津城にかわる社や国神の永遠にまもらめ天地の和を
寺博士に誘われるままに、1200年前の足取りを探っていますが、記憶になく、場所がわからず、供の者に迷惑をかけています。
いわき市は大部分の寺を私が開いたと言われています。とても光栄なことです。前に磐梯町の慧日寺(恵日寺)を訪ねましたが、今回はいわき市四倉の恵日寺です。本尊が大日如来で、真言宗智山派です。
私が大同元年(806)に寺を開いたと伝えられています。普段、住職さんがいないそうで、総代の方に本堂を開けていただきました。位牌堂にも行きました。
前日、震度5強の地震があったので、位牌が床に落ちていました。「当山開祖徳一大師御尊霊位」は落ちていなかったので私の霊に向かってしばし祈りました。そして真中に小型の大日如来を安置し、その向かって左側に「下総国親王女如蔵大禅比丘尼位 三月六日」の位牌があります。
本堂に向かって左側に昔の小学校の奉安殿があり、現在は市内で一番古いといわれる県指定文化財の阿弥陀如来立像が安置されています。残念ながら御開帳日が決まっているそうで拝めませんでした。
私のことは別にして、後の世になって、平将門の3女、滝夜叉姫(如蔵尼)がこの寺に住み、ここで亡くなったそうです。磐梯の慧日寺とお話は同じです。
境内には、滝夜叉姫の「奥津城にかわる社や国神の永遠にまもらめ天地の和を」と小野小町の「山里の五十路の坂を越えぬれば刈穂の庵はこころなごみ」の歌碑があります。2人の美人にお会いしたいものです。
岩井(茨城県坂東市)とは交流があって、ここへ来た時は、皆で般若経をとなえ、将門と如蔵尼の供養をするとのことです。寺博士によると、もちろん、徳一さんも供養されていますと言ってくれました。
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