筑波山に籠り修行
▽筑波山㊤(茨城県つくば市)
私が常陸国へ来たのは、筑波山にあこがれたからです。南都では、富士山と筑波山は歌枕にされ有名になっていました。私はこの筑波山に籠り修行しようと決めました。
常陸に近づくと平野の中に筑波山が見えました。山は男体山(西峰・871㍍)と女体山(東峰・877㍍)の二峰になっていて筑波男大神、筑波女大神がそれぞれ祀られていました。この神たちを守るために千手観音像を本尊に仏堂を建てることにしました。
寺博士によるとそれを筑波山知足院中禅寺といったそうで、延暦元年(782)のことで1230年前になります。私は筑波山の中腹に住んだようです。筑波道は北条から現在の拝殿に登るのが本道でした。
現在の拝殿から御幸ケ原コースで、山頂まで、山道110分、男体山と女体山の間は20分から30分かかるそうです。近いうちに寺博士と競ってみようと思います。
筑波禅定は、イワヤを次々回ることによって、身体の鍛錬と精神の修養を願う目的があります。現在66か所あると聞きました。寺博士の持っている昭和初期の絵葉書を見せてもらいました。天孫降臨の高天ケ原、大仏岩、男女の川、白滝などは思い出しました。日本武尊の話は知っていました。
後の世になって、弁慶七戻りの険道、親鸞の立見石など、有名な武人や僧侶も訪れたのですね。
4月と11月には御座替祭があります。筑波の二神は慈悲深く、冬の山頂は寒いので子神を山麓の神殿に移し、祖神が山頂の院に入ります。また、反対の意味にとり、親孝行説もあります。
今回は巫女さんの案内で神橋を渡り、神水で身を清め、随身門(旧仁王門)をくぐり、拝殿で参拝し、すがすがしい気分になりました。明治の廃仏毀釈までは神仏混淆で、私の名も知れ渡っていたそうです。
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