山腹に不思議に輝く岩
現在は石岡市ですが、葦穂村、八郷町など名称が変わったのには驚きました。それでも吉生(よしう)と峰寺山が残っていたので安心しました。今は寺脇まで車で行けるそうですが、健脚コースを歩きました。
私は筑波山を本拠に毎日歩いていました。「徳一さんは、山腹に不思議に輝く岩を見て、五穀豊穣・万民和楽・輸送の安全・牛馬の息災を祈念し、大同2(807)に開基した」と寺博士が教えてくれました。1206年前になりますね。
これが本尊で、自然石に刻まれた3メートルの馬頭観音で、私が寺を開いたようです。その後、真言宗になり、現在は天台宗です。何回か火災にあい、現在の本堂は寛政3(1791)の再建で、京都の清水寺を小型にした舞台造りになっています。
楼下約17・6メートル、間口・奥行約7・6メートルで、ここからの眺めは格別です。
あの有名な平将門は保元年間(1156~59)に奥さんと参詣した時、急に産気づき村人が清水を汲んで飲ませると、安産であったので、麓の地域を吉生(よしう)と名付けたといいます。
とにかく、私の時代のものは何も見当たりませんので、今回は寺博士の話を聞いて楽しんでいます。ここの立木観音立像は、山腹の上根という所にあった立木山長谷寺高照院の本尊で、仏身5・97メートル、明治42(1909)年廃寺になり、本寺に移されました。1本の立木に刻んだもので?は寄木、県の文化財指定、いたみがはげしく、修理費127万3900円で昭和37年(1962)に修理したそうです。
本堂の奥に梵鐘があります。戦時中、金銅仏供出からまぬがれました。寛政6年(1794)鋳造で馬頭観音を信仰する村の人たちの寄進で広範囲の信仰がありました。なお、近くの山中に球状花崗岩が露出しており、県の天然記念物に指定されているそうです。
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