
拝殿・社務所

茂みに覆うわれた山道を登る |

加波山開山祭の幟がたてられていた |
|
信仰の山として737座の霊場があった
きょうは、1200年以来の加波山です。この山は天津彦根命、建許呂命を祀る山で、日本武命が開いたともいいます。しかし、私も登った思い出があります。
709㍍の本宮に到着、回りに大黒石・母胎内くぐり・くまの飛石・鏡石があり、ここまで、頑張って登りました。明治初期までは女人禁制だったそうです。とにかく、737座の霊場があったそうです。
加波山には、九丈峰・朝日岳・権現岳・竜灯峰・増理岳・雷神峰・剣術峰・黒熊岳・霧島岳という9の峰があり、胎蔵界の九葉により分けられています。それに谷は7仏になぞらえ、東に細谷・権現谷・布引谷・竜王谷、西に雷神谷・黒熊谷・霧島谷があります。
なお、山頂には私ゆかりの釈迦・弥陀・薬師の三尊ケ谷があり、私が名付けたようです。
多くの登山者とすれ違いました。ここで、寺博士が話してくれました。鎌倉時代になると、神仏習合思想の影響により、熊野御師と地方の先達の関係が密接になったそうです。南北朝時代には武家の集団も信仰をはじめました。室町時代の初め、応永2年(1395)に筑波山の源海上人が加波山に籠り、各霊場を作ったそうです。
私が去った後の加波山の信仰は発展したのですね。文明18年(1486)に聖護院門跡道興准后が各地を巡回、その時、現在の筑西市小栗を経て、9月24日に筑波山に参詣しました。この影響もあって、加波山など修験の山として信仰圏も拡大しました。
とにかく、私は、筑波、加波、足尾、雨引、椎尾の各山に興味を持ち、信仰の山として、1200年たっても、皆が親しんでくれることを願っていました。
寺博士から「徳一さんのお蔭です。今でもあなたを大師とか菩薩と呼んで崇めています」といっていただき、大変満足し疲れを忘れ歩きました。
|