最初は法相宗で徳一が建立
きょうは椎尾山薬王院に行ってみました。標高200㍍結構、高い山です。寺博士は「最初、法相宗で、本尊は薬師如来像、徳一さんが建てたといわれています」と話してくれて、私もほっとしました。
『天台宗茨城教区史』によると、「783(延暦2)年最仙によって桓武天皇の勅願所として天台宗になり、824(天長2)年、慈覚大師が再興し、談義所としている」とあります。
私が開いた所へ、慈覚大師が現れることは、まさしく、私の露払いのように思われますが、法相宗の運命だったのでしょう。それでも私の教えが受け継がれていると確信しています。1252(建長4)年、忍性が律宗にしましたが、1351(観応2)年、天台宗に戻っています。
仁王門の仁王像は修理のため留守でしたが、大きな下駄が奉納されていました。「生命安全・無事故無違反の人生・家内安全」と書かれていました。私も小さな草鞋をあげ、無事をお願いしました。
ここから本堂までかなりきつい坂道です。1646(正保3)年、火災で本尊を除き焼失、1680(延宝8)年に再興しています。ここでは、8間4面の本堂に自由に上がれ、最仙さんの像にお会いできました。ここには、本尊の銅造薬師如来、日光・月光菩薩、十二神将などが安置されています。
間口・奥行2間の三重塔は、1704(宝永元年)に完成したそうです。私がこの地に仮堂を建て、布教したのは、短い月日でしたが、それが立派な寺になったことは嬉しいことです。
寺内裏の山中には南谷、中谷、西谷、北谷があり、名木・名水・名石が見られ、霊水は弁天池を作り、眼病をなおします。この寺内はスダジイ樹叢として、1994(平成6)年県指定天然記念物になり、自然環境保全上貴重であるといわれています。これは、私の時代のものかもしれません。
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