石造物の多い寺院
昔と山の様子は変わっていませんが、住宅は変わってしまって、寺博士もどこから入るのか迷っていました。なおさら、1200年前どうだったのか覚えていません。
雨引山は用明天皇(583~87)の御代の創建といいますから、気が遠くなります。一時、法相宗だったので、私の影響もあったはずです。後で訪れてみます。
きょうはふもとにある祥光寺に行きました。震災の後で門柱などを修理していました。現在は瑞雲山が山号で、臨済宗建長寺派に属しています。寺博士が庫裡に行き、私のことを尋ねていましたが、伝説で古文書はありませんと言われていました。
私の後、はっきりしませんが、1347(正平2年)夢窓国師によって、臨済宗になったそうです。造園にその才能が発揮しています。その後、江戸幕府から代々45石を受けていたそうです。
寺院と火災はつきもので、寺博士の話によると、寛永年間(1624~43)堂塔が焼失、この時、私に関する書物は一切消えたのだろうということです。元禄時代(1688~1703)に真壁城主が七堂伽藍を寄進して再興されました。
本尊は阿弥陀如来坐像で、像高87センチ、平安時代後期の作で県の文化財です。私の奉納でないことは確実です。
境内にある多宝塔も県の文化財です。石材は凝灰岩で塔高は140センチ、塔身に「造立多宝塔 右為源真□□ 建仁二年九月十二日 孝子九人」とあり、墓石と思われます。石質は凝灰石で全体が荒くなっています。とにかく811年前に建立されたものです。
寺内の石造物の多いのには驚きました。本堂の左側には、七福神の大きな像が7体並んでいます。一か所で七福神参拝が出来るように考えたのでしょう。その像が皆、ユーモアに富んでいたので、楽しくなりました。
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