徳一が歩く 稲田山神宮寺(7)                                              (財)茨城県郷土文化振興財団

奥の宮が見えると次の階段を登る

  稲田山の奥の院脇に痕跡あり

 
私の生まれについては多くの人が研究していますが、不詳です。この間、寺博士の家で『国史事典』を見せてもらいました。それによると760(天平宝字4)年頃とありますから1253年前になります。20歳で私が東国へ移ったとありました。
 空海(弘法大師・774~835)が弟子の康守を東国に遣わし、私の所に香に添えて書簡が届き、真言宗を広めることを勧めてきました。そこで私は真言教学の疑問についてあげました。この詳細は後の話しにします。
 今日は笠間市稲田に来ました。ここに稲田神社があります。境内で掃除をしている人に出会い、声を掛けると宮司さんでした。「私が昔、ここへ来たといわれているのですが」
「あなたは、どなた様ですか」と言われ、「徳一」ですというと。「稲田山に奥の院があります」と案内してくれました。
 この道が結構ありました。寺博士は私よりも元気です。今度は稲田山の中腹にある稲田神社の奥の宮まで登ります、草が茂り階段も滑りました。社の前には太鼓石と言われる巨石があり、驚きました。
 稲田神社の祭神は奇(くし)稲田姫之命で、由緒には「素戔嗚命の姫で、ここの主神ですが、父母と夫婦の宮を営み、好水の泉で酒飯を作り奉じなさい」といわれたそうです。
 私の寺は奥の院の脇に痕跡があり、神宮寺といったといいますから、稲田神社の別当をつとめていたように思われます。なお、神宮寺跡に登るのも苦労しました。ここは、個人の所有地で、現在は神社と関わりかがないようです。稲田姫にお会いしたいと思いますが、無理な話です。
 この稲田姫は八頭八尾のオロチに追われたとき、茶の根につまづき葉で眼をいためたので、氏子の家では、茶と松の木はなく、正月の門松も作らず、お茶を発つ家もあったといいます。神仏混淆の時代が永く続きます。

 
      



旧神宮寺


社の前にある太鼓石と言われる巨石


奥の宮に続く参道と階段
【神宮寺メモ】
神宮寺跡 本尊は個人が管理 
稲田神社 笠間市稲田763
創建 不詳だが『続日本紀』の「延喜式神名帳」によると797(延暦16)年
1698(元禄11)年光圀四神旗寄進・現在県指定文化財
7月30日の祇園祭の御輿は
奥の院から渡御


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