徳一が歩く 養福寺 (3)                                                 (財)茨城県郷土文化振興財団
 
本堂はひっそりと佇んでいた

  十一面観音像と仁王尊像を彫り安置

私は筑波山から国見をしました。各村の様子が手に取るように見え、山から下り、各地を歩き、法相宗のお堂を建てようと決めました。
 今日は笠間市太田町へ、1200年ぶりに訪ねました。1972年に『茨城の寺』を書いた寺博士が同行しているので安心です。
 ここには松長山成就院養福寺があります。私がここに寺を建てたのは、777(宝亀8年)年で如意輪寺と同じ年ですから、私も忙しがったのでしょうね。
 それに、十一面観音像と仁王尊像を彫って安置したというのですから、私の腕はすばらしかったのでしょうね。しかし、寺博士は、私の耳に口を近づけ、「伝説かもしれませんよ。鎌倉末期の作ですから」と簡単に言われてしまいました。
 私は有名だったので、各地で「徳一大師さんが見え、仏さんの功徳をお話してくださいます」と歓待されました。
 ここで、住職さんに御挨拶と、言葉を掛けましたが、お留守でした。養福寺は私が去った後、813(弘仁3)年に慈覚大師が本堂と山門を建立、天台宗になりました。私の刻んだ仏像の安置には悩んだと、『新笠間市史』に書かれています。宗派が違ったからでしょう。
 墓地を歩いていて、墓参りの御婦人に会い、七難即滅・七難即生の話しを聞きました。そのために7本の大木と七水があるそうです。 
 ところで、私は20歳で、常陸に来たと思っておりましたが、50歳ではないかと、書物に書かれています。とにかく、昔々なので覚えていません、お許しください。
 先日、寺博士が養福寺の飛地で、友部の白鳥湖にある北山不動尊に行ってきた報告を聞きました。この不動尊は私に随行した行者が籠るために、本堂と同時の建立で、石に不動尊が刻まれています。博士は石段がきつかったと言っていました。


 墓地へ続く参道にはお地蔵さんが並んでいた

お地蔵さんは真新しい赤頭巾を被っていた




七水の一つ「恵水」と書かれ
た石碑があった
 【メモ】
茨城県笠間市太田町324
電話 0296(77)0345
水戸線宍戸駅下車
宗派 天台宗
本尊 十一面観音菩薩立像
山門・仁王門・観音堂

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