徳一が歩く 東性寺 (2)                                                 (財)茨城県郷土文化振興財団
 

棚田を見ながら坂道を上がると六地蔵が迎えてくれた

  人を集め、人を育て、人を教導する場が寺院

 今日は手越の松鏡山弥勒院と号している東性寺に立ち寄りました。私が開山したのは
807(大同2)年ですから、1200年も経っています。この時、私は熊野権現を勧請し、その本地仏である十一面観音像を刻んだと言われていますが、そんなに古い仏像はありません。
 「寺院は修行の場であり、法悦に浸る唯一の場所であります。人を集め、人を育て、人を教導する場が寺院」と言われた猪瀬宝山住職は亡くなっており、お会い出来ませんでした。
 私はここで、京都の興福寺で学んだ法相宗の教えを説きました。人家が少なく、錫杖を駆虫のため携帯し、近隣を遊行しました。
 私がこの土地を離れた年代は分かりませんが、多くの寺が天台宗になったのですが、真言宗になりました。天台宗と真言宗が競争して布教したのでしょうね。
 東性寺の本尊は、大日如来像から1619(元和5)年十一面観音立像になったそうです。この像は県文化財に指定されていて、増高が105センチで室町時代の作と言います、私の作という像は見られませんでした。
 ムラの人々は安産・子育て・水子供養・厄除けとして、信仰されているそうです。しかし、子供の姿は一人も見ませんでした。
 法相宗興福寺は弥勒如来が本尊なので、院号を弥勒院としたのは、私に敬意をはらってくれたのでしょう。
 現在の寺に私が滞在したという証しは何もありません。同行している寺博士が尋ねても伝説もないようです。境内には、聖観音を安置した観音堂、薬師堂が建っていますが、保存に苦労しているようです。
 寺の前面は棚田になっていて、田植えが終わり、青々して、水もたたえられて私の滞在した時とは違って、よく整備されています。豊作を祈りつつここを離れました。


 梵鐘の音は棚田を抜け集落に広がる


石碑には鐘楼堂建設の経緯が記されている



木造十一面観音立像
 【メモ】 
 〒309-1621 茨城県笠間市手越195
 電話02967-2-4290
 宗派 真言宗豊山派
 本尊 十一面観音立像
 祈願 安産・子育て・厄除け
 行事 初護摩 1月15日 御田植祭 7月27日
    施餓鬼 8月10日 大日礼祭 11月23日



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